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台湾グラフィックその2「パブリック篇」 [閑話]

台湾の街の中はそれこそカオスのような看板にあふれていて、まるで駄菓子屋のようですが(実際台湾にも日本の駄菓子屋のような物がありました)
パブリック、特に台北のMRTは、それこそデザイン的にも優れたコントロールがされていて、そのわかりやすさと便利さは本当に素晴らしいですね。

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改札の機械でさえ造形的にも素敵です。
また日本の切符に当たる物はプラスティック製のコインで、これの素晴らしいところは何度も使い回しのできるという「エコ」にあります。紙のことをいろいろ言いますが、こういうところの紙を無駄にしないで、本や雑誌、ポスターなど必要な部分にはいい紙をきちんと使っていきたいと・・これは私の希望ですが。

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車両もきれいだし、最近日本でも新幹線や南北線などで見かけるホームのフェンス&ドア。車両が来ると赤い小さいライトが光り、明らかに日本の物よりもきれいで優れてます。
社内のLED掲示板も前の駅、今止まる駅、次の駅が同時に表示され、シンプルで親切、わかりやすいです。また警告用ピクトや文章もきれいにデザインされています。

ところが痴漢警告のポスターになると、とたんになんだか安っぽい。こういうのは日本に一日の長がある気がしますが、そのうちこういうのもデザインされていくようになるかもしれません。

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これは車内にあった細長い額面ポスター。日本だと検索窓になる部分がURLにカーソルですね。

次はバス停です。必要な要素が整然と並んでいて、デザインされています。

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バス自体はきれいな物もちょっと古い物もあって、古い物は次の泊まるバス停がわからず、また運ちゃんも飛ばしまくって結構コワい。ここいらへんもバスの入れ替えと共に良くなるはず。運ちゃんはわかりませんが(笑)

最後に松山空港のタクシー乗り場のサイン。距離の長短で乗車拒否しませんって書いてありますね。なんだかちょっと変にデザインされていて、目に留まりました。
空港のタクシーは認可された車両だけなので安心して乗れます。係の人もいてきちんとしてます。

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台湾は近いし、震災の時にも大変お世話になって、なおかつ食べ物は何食べても本当においしいし物価は安い。是非チャンスがあったら行ってみてください。


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九份にあった駄菓子屋さん。3丁目の夕日です。
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台湾グラフィックその1「サイン広告篇」 [閑話]

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マイルが貯まりましたので台北に1泊で行ってきました。

いろいろ写真を撮って台湾のグラフィック事情をお知らせしようと思ったのですが、昼過ぎに入って翌日のお昼には出発でしたのでそんなに時間がなかったこともあり、表層的なところはお許しください。

最初に、看板サイン広告関連です。

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街を歩いていて感じることは、看板が多い!そして主張がかなり強いです。
中国の人は基本主張が強いし、大きな声で良くしゃべるので、それがそのまま看板になった感じですよね。国民性を強く感じます。

色が「赤」を中心に原色の物が多く、書体が太い。当然「センス」『美しさ」とかは無縁、直接的で目立つことを最優先。そしてそれらが百花繚乱、カオスのように町にあふれていて、それが街全体の印象を形作っていて、アジア特有のわさわさとした楽しさのような印象につながってます。

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レインボーカラーは好きなようです。

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しゃぶしゃぶやさんです。

下記に日本の書体で、近い物を上げておきました。
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それでもインターナショナルな企業などはさすがにデザインをしていますね。

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ただやはり「漢字」基本で、シンプルで直接的、スピードの速いコミュニケーションを心がけてる気がします。


そんな中で少数派ですがデザイン的にこだわっているお店のロゴなども散見されます。漢字を使ったデザインは中国っぽさにあふれていて、日本意は無いセンスを感じ、参考にしたいところがあります。

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最後に映画のポスター。日本の物に近い気がします。

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それに対して公共交通機関などは、非常に戦略的にデザインされています。次回に少し例を挙げてみようと思います。
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ポスター [閑話]

事務所に新たに人が入りそうなので、いろいろ整理してみることにしました。
第1弾として、いままでに作ったポスターを、断捨離。
だいたい印刷屋さんのポスターの最終刷り出しに行って刷り上がりを10枚くらいもらってきたり、送ってもらったり。スタッフに渡したりしても5枚以上残って、そのまま丸めておいたものが多く、今回はそのうち2枚を残して後はすべて捨てることに。

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上の写真のように雑に作業してみると、会社を作ってからだけでこれで全部ではないですし、それ以前もありますから本当にたくさんのポスターを手がけたんだなーと妙な感慨に耽ってしまいました。

グラフィックデザイナーになろうと決めてから、当時最初の目標は「B全ポスターと新聞15段の仕事をする」だったと思います。まだB倍版が出るか出ないかのころでしたから、B全版がとりあえず一番大きい。新聞で30段はまだ誰もやってなかった(と思います)から15段が一番大きい。単純です(笑)
その後、いろいろ恵まれて、本当にたくさんのポスター(そして新聞)の仕事をさせていただきました。

でもやはり「時代」もあったのかもしれません。最近のデザイナーでポスターばっかりの人ってあまりいないと思うし、最近は数が少ないものは印刷ではなく出力になっているようですが、駅貼りのポスターも本当に少なくなりましたよね。合わせて新聞や雑誌の仕事も減っている。
今企業のメッセージの主幹はウエブになってしまい、CMも新聞も、雑誌もウェブに導入するためのツールになってるものが多い。グラフィックの作業と言えば今はやはりパンフレットなどの小型グラフィックが一番多いアイテムなのではないでしょうか。

でもやはりデザイナーとしてポスターのような大きい画面に自分の作品を展開したいという思いがありますよね。昔は大きかったLPサイズのレコードジャケットを手がけるのもあこがれでした。表参道にいるとビルの上にアパレル関係の大きなビルボードがあったりして、あんなのもいいものです。

今の若手の方々のためにもまた大きいグラフィックの媒体が増えて、デザイナーの実力発揮という場が増えてくれることを願っています。PR要素ばかりの商売っけ丸出しではない、アート的にも素敵なポスターのある街や駅。場所さえちゃんと限定すればそれはとても良いものだと思います。

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※きちんと小さくたたんで、まとめてしばければ、新聞や雑誌のように資源ゴミに。特に情報漏洩や悪用の心配もありません。良い紙使ってるから(笑)良いリサイクルペーパーになるかな。
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お伊勢参り(パワースポット) [閑話]

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ブログのアップも進まず、今回もちょっとテーマはずれますがお許しください。
少し前に流行っていた「パワースポット」。日本のナンバーワン人気スポットと言えばお伊勢さんですよね。
3連休だけど最終日だし、台風だし、もうきっと下火だしとちょっとばかり運気をいただきに、一人でふらっと行って参りました。
上の写真のように予想より台風が早く、雨がたくさん。でも若い女性を中心にけっこう人がたくさんいてびっくりしました。
皆さんにもちょっとだけ運気のお裾分け。(できたらいいんですが・・)

下宮の本宮(御正殿)です。(本宮は下宮、内宮ともに鳥居の中は撮影禁止でした)
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内宮の宇治橋の脇にあるのですが、なんのためにあるかわかりません。
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これは藁葺きではないですが、日本の屋根ってきれいです。韓国、中国、アジアではもっとそりが強くなりますよね。国民性的な物も反映してるようで面白い。
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内宮の御正宮です。人が多いので係員が整理をしてました。20年ごとに新しく隣に立て替えるそうです。
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いにしえの昔より木を基本的に伐採してはいけないという決まりがあるようで、普通の神社仏閣ではご神木と呼ばれる以上の古木がゴロゴロしてました。いい写真家ならもっと・・・。
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さすがに鳥居をひとつずつくぐって中に入っていくたびに、温度が1度ずつ下がっていくような感覚はパワースポットらしさを実感した気がします。
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好きです。古い金具の形。
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参道のおはらい町通り。古い町並みを残してるのでいい感じだし、アンティークなグラフィックも。
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写真展などもやってました。
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http://www.akafuku.co.jp/jingunomori/index.html


でもとても印象に残ったのは・・・
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意図しないで作られるこういう物って、力あります。(津駅を使ってる現地の人にとっては何のインパクトも無いと思いますが)
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フランス料理とミシュランガイド [閑話]

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今日はデザインの話ではないので気軽に読んでください。

久しぶりにSTRAMDの公開講座に足を運びました。今年になって案内が来ないのでやってないのかと思ったら単にメーリングリストから漏れてたとのこと。素行不良につき排除か?と一瞬不安に(笑)

さて、今回はあまりにも有名な料理評論家の山本益博氏を迎えて、「ミシュランガイドの企業戦略」と題した講座でした。
山本さんは落語好きとあって、下書きも何も見ずに2時間私たちをまったく飽きさせない楽しい話を披露しました。講座だからテーマがあって、それに合わせて考えて来られたと思いますが、まあ美味しそうな話が次から次へと出てきて、そのまま家に帰るのが結構つらかったです。

さて、その中でいくつかピックアップしてみます。ミシュランガイドは、タイヤメーカーが出してますから、最初はドライブガイドのような物で、初期の本には基本的なタイヤの修理方法なども書いてありました。今でも地図と名所旧跡ガイドを別冊として3冊一組で出しています。最近外国人の読む日本版に高尾山が三ツ星で載ってて話題になりましたよね。

大きな話として、今フランス料理はロブション、デュカス以降のスター不在で、世界の料理の話題はスペイン(エル・ブリ)、イギリス(ファット・ダック)、デンマーク(ノマ)(カッコ内レストラン名)なんだそうです。そこのレストラン、特に料理に特化して三ツ星(デンマークは2つ)をつけたので、今までの「料理」「内装」「サービス」という評価軸がずれてきているということ。今までいっさいコメントが無かったのが最近になって、評価に対してコメントが載るようになったことなど。つまり、様々な事情でミシュランガイドは長い歴史の伝統から変化を始めてるそうです。

その顕著な例として、フランス、ヨーロッパだけでなくニューヨークや東京、鎌倉、関西と新しい地域に進出しているのはご存知の通りです。
フランスのミシュランは今でも写真無しで、イラストを使い星無しのレストランもちゃんと載ってるのに対して、アメリカで写真を採用したあと日本でも同じように写真入りで、しかも星がついた店のみを掲載するという、本家の物とはかなり違うスタンスで展開していますよね。

やはりフランス料理を頂点とした世界の料理界はフランス以外からのニューウェーブの登場で大きく変化しているようです。それにミシュランも合わせるような形で変化してるんじゃないかということのようです。
あまり高級な食べ物に縁が薄いので中々その雰囲気を感じるところまで行けなそうですが、安くて美味しい物を食べながら(飲みながら?)、今後の料理の世界を外側から見守ってみようかなという気になりました。

山本さんは若い頃辻静雄氏の書いた本に魅せられ、若い頃言葉もわからずにフランスに単身乗り込み、その後100回以上も渡仏されてその他部に新しい美味しさを探求されてるとのこと。「好き」だけじゃない、その飽くなき探究心とそこで養われた深い知識には本当に頭の下がる思いです。やっぱり有名な人には理由があります。

山本益博さんのホームページ
http://www.masuhiro.jp/
※上左の画像はwikipedeiaより


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はやっちゃうけどおわっちゃう。 [閑話]

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業界の色々な技術職っていうのがあります。昔だったら写真のプリンター(モノクロ写真などを印画紙に焼き付ける)、修正用のエアブラシ、写植など、
データ時代の今だったら、レタッチャー、ウェブのコーディングなどでしょうか。

元々日本人は手先が器用だし、繊細だから技術職の人はすごく優秀な人が多い。
昔からずっとそうだと思います。
昔は彫金だったり、版木を彫ったり、桶を作ったり、包丁や刀を作ったり・・・・。小僧からがんばって手に職をつけたら一生食いっぱぐれが無い。それどころか技術が上がって「親方」にだってなれます。
日本人の先天的なスタイルはこのカタチ=「叩き上げて一生かけて昇華する」なんだと思います。

でも特にコンピュータが導入されてから現在に至るまで、ソフトがプリミティブな状況で覚えた難しい技術は、ソフト側のリニューアルでどんどんイージーオペレーションになって、いつの日か一般の人にも出来るような状況になっていってしまってますよね。
一時は技術をもてはやされて、とても高い金額をとって外注産業としてうまくやってこれても、永続的ではない。前述のような先天性を持った日本人としては悩みどころです。

たとえばレタッチなども、簡単なことはデザイナーも出来るし、カメラマンも自分の撮った写真を人にやられたくないから自分でやるようになっている。
また、カメラマンのレタッチもちょっと前はレタッチ料として結構取れたけど、今は叩かれる。あまりにも移り変わりが早くなりすぎてきてる感があります。

もちろん以前ほどの料金では無いにせよ、優秀な人たちは今でもたくさんの依頼を受けていいい物を排出してるはずです。さらにいえば、一部の優秀な人はソフトの発達にもキチンと対応して自分のスキルをさらに上げていき、いつまでも先端で光った存在になれるんだと思います。

きっと重要なのは、自分なりに突き詰める意思と行動を伴い、自分なりの工夫と提案を常に行えること。これってもうテクニシャンではなくクリエーターです。
クリエイティブはやはり人間作業ですので、コンピューターで補いきれない。そこに技術者を含めた我々の生き残りの道が(入り口はどこであれ)あるんじゃないかと思います。

※画像:ピザのチーズ引きは「ナチュラルさ」がキモです。レタッチャーの腕の見せ所ですね。「合成かナチュラルかわからない」ようにするのが一番難しく技術がいると思います。

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震災後の広告 [閑話]

長いこと放りっぱなしで、本当にすみません。今年になっていろいろ状況が変わり、今までとは違う人とご一緒させていただいたり、違うことをやったりしています。
今も諸々進行中でしっかりとした時間が取れずにいます。
このブログではまじめなテーマを選んじゃったので、「よしやるぞ」って言う一定の時間が取れないとなかなか書けません。すみません。今回も閑話程度で・・・。

その今の仕事のなかで震災関連の案件があり、2回ほど東北方面にも足を運びました。そんな時に今日のヤフーのニュースで「大震災3カ月のCM考「メッセージ重視」模索」というトピックが目に入りました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110614-00000105-san-ent

そういえば震災後も[AC]のコマーシャルに批判が集まりましたよね。あれは今のコマーシャルをそのまま流すと、「こんな時にナニやってんだ」という視聴者の怒りの声が上がりそうなのを回避するために、マナーなどの啓蒙のために毎年少しずつ作ってる[AC]のCMをあてていた訳で、企業はちゃんと規定の広告料は払っていたはずです。でもいかんせんこんな状況で使うって考えてなかったから数が少ない。確かにあんだけ続くと飽きちゃいます。

三ヶ月後の現状は、まだ「ぽぽぽ〜ん」は流れているけど、記事に依ると
「視聴者の目は震災前より厳しく、被災者を応援しようとしたメッセージCMに対しても「不謹慎」「震災を企業イメージの向上に利用している」といった批判が向けられがちだ。その中で、商品を堂々とPRしながら、人々を笑顔にすることにこだわった作品も生まれている。(三宅陽子)」
だそうです。

視聴者は民放そのものがCM広告料によって成立してることは知ってはいても、それに対してなぜか感謝も何も無く、逆に非常に厳しい目でしか見てないような気がします。自分だってほとんどの人が企業に勤めて商業活動をしているにもかかわらず、企業は怒りやストレスの矛先になっちゃう。不思議です。確かに金儲けばかりで変な企業もあったりですが、少数派だと思います。
それでも山本太郎さんの件などがあると、テレビ局と広告主の力関係を、(あまり良くないイメージですが)何となく感じることがあります。

さて、記事によるとそれでも企業は狭いところから「被災地応援」と「自社商品PR」のどちらもクリアできる作品を作り上げてきてるようです。



今は、お金をかけて中々いいCMを作ろうという状況にありませんが、それでもがんばってる企業のCMは、とても優秀な人たちが日夜知恵を絞っていい物を作っています。
最近良く番組でも取り上げられる「古いCM」を見ると、その時代をとても感じて楽しいように、「今」をしっかりと映しているエンターテイメントとしてのCMを、もっと楽しんでもらえたら良いなと思います。

少しでも景気が良くなって、いろんな物が売れるようになれば、雇用だって持ち直してくれるし、復興も早く進んでくれるんじゃないかと言う期待を込めて。

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螺旋の話3 ケルト文様 [閑話]

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※アイラモルトのアードベグのロゴやグラフィックにはケルト様式が取り入れられています。

螺旋好きにとっては、「ケルト」は決して避けては通れません。

ケルトの話は、いろいろ詳しい内容がネットや本に出ているのでぜひそちらを参考にしていただくことにして(とっても語り尽くせません)、ちょっとだけかいつまんでみます。
紀元前4-3世紀にインド=ヨーロッパ系のケルト人がヨーロッパに侵入し、一時ヨーロパのかなり広い地域に広がります。実はあのローマ帝国に負けちゃったフランス人の祖先と言われるガリア人もケルト人の仲間です。でもヨーロッパ大陸のケルト人は、色々な民族と一緒になってその文明に吸収されてしまい、結局今でも残っている(言語や文化)のはアイルランド、スコットランド、マン島、ウェールズ、及びブルターニュだけになってしまいました。それが私たちのイメージ「アイルランドや一部のイギリス=ケルト」になったんだと思います。

ケルト美術と言えば第一人者である鶴岡真弓先生(多摩美術大学教授)の著書が何冊もありますので、興味があればぜひ見てみてください。私も参考にしながら書いてます。

私は螺旋好きの視点からの、あくまでも私説です。
ケルトのように自然宗教的な物をベースとしている場合、「螺旋」が登場することは大変多く、それは人間の「内面」の世界を見つめ、また自然の現象を良く観察し合わせて、世の理(ことわり)を表現してる文明、宗教に共通の事柄だと思います。
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※北アイルランドの世界遺産、ニューグレンジの巨石の文様

ケルト人にとっての螺旋は死生観(輪廻)だと言われているようですが、まさに、仏教(密教系)やヒンドゥー教、各地のプリミティブな自然宗教にも共通する考えですよね。
宗教的に内面や自然の理を基としている場合には、キリスト教の格好いい「人間の形をした神」のような偶像は作らず、複雑な図形や、入り組んだ文様の中に本質を入れ込みます。それは非常に微細でしかしそこには広大なる宇宙が存在します。

見た目の大きさというのはあくまでも人間の目を通した物で、自然の本質にはかえって邪魔なのかもしれません。それはあたかもフラクタル図形(大きさに関係なくすべてが相似形で出来ている)のようなもので、そういわれてみるとケルトの文様にはフラクタル的な要素が見てとれます。

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※フラクタルの図形例

すべての本質は螺旋(のようなもの)にあるとにらんでいます。
それは時折、僕らの目にもちらっとその端っこを見せてくれたりします。

最後に世界で最も美しい書物と言われる「ケルズの書」をウイキペディアの画像より抜粋しました。精緻な文様によるケルト世界観と、まるで「曼荼羅」を彷彿とさせる図形があるのがわかると思います。他文化・宗教間の共通点や似たような図形ってちょっと興奮しますよね。

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※参考
http://ja.wikipedia.org/wiki/ニューグレンジ
http://ja.wikipedia.org/wiki/ケルズの書
http://ja.wikipedia.org/wiki/フラクタル

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写真とクルマ、そして古いクルマのカタログ [閑話]

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クルマが好きです。
そんなことを言うのは、私がおっさんだからかと思う今日この頃。
若い人のクルマ離れはかなり進行してるといって良いと思います。

昔クルマは社会的地位向上の象徴でした。クルマを持つことは裕福の証だった。だからこそみんな憧れたし、すごく興味も持ちました。
クルマほどプライベートな空間と自由に移動が出来る手段を、両方手に入れられるものは他にありませんでした。(そこは今も変わりませんが)

クルマの広告ではなく、(他の)広告や写真にも小道具として良くクルマが使われました。海辺のアメリカ製ピックアップトラックにサーフボード。アメリカの広大な一本道に古いアメ車。ファッション写真の中のゴージャスでカッコいいイタリア製のクラシックカー。フランスの街角に停めてある少し古いシトロエンやルノー。
写真の小道具の場合にはやはり古いクルマが魅力的ですよね。オープンカーなんか良く使われます。クルマがピカピカ光っていた頃の名残、今でもそのオーラが人を惹き付けるんでしょうか?ゴムとプラスティックだらけのクルマじゃなく、クロームの効いた金属の固まり。

私のクルマ好きの友人より話があって、数年前さる方(古い自動車業界では名のある方で、数十年もクルマのカタログ収集を趣味にされていました)から古いカタログを譲り受けました。クルマも好きだけど、古いグラフィックデザインに興味がありました。その中で古いものをいくつかを紹介いたします。アルファロメオの古いカタログで、1930年代からのものが段ボール一箱分。まさにクルマがあこがれの対象で、高嶺の花だった時代。
写実的なイラストやモノクロ写真(しかなかった)に人着で彩色したものなど、今では考えられないローテクに魅力を感じるのは私だけではないと思います。

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つまるところテクニックや先進技術とかではなく、「賢明に表現をしようとする工夫と姿勢」こそが、魅力の光を出してくれる要因なのかも知れません。
また、その時代を強烈に象徴するものや商品は、その周りにあるグラフィックや広告などを含めて、後世に残ってくような気がします。

※最初の画像はラルフローレンのファッション広告と、ブルースウェーバーの写真集から。

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見た目 [閑話]

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さて、人を見た目でネガなことを言う人がいますよね。「ブス」「ブサイク」「チビ」「ハゲ」「ブツブツ」「地黒」「ペチャパイ」etc。

イージーなだけに浅はかです。言われた方は気分のいいものではありません。特に問題は「そのことの多くが修復不可能なこと」です。いわば一生ついてくる不良品的なことを言われる訳で、悪意があろうと無かろうとそのことをあえて認識させるのはどうかと思います。
さらに言えば、他人の肉体的欠陥を言う人は、ほとんどがそれを言うことにより無意識に自分を優位に保とうと言う心が働くといわれていますが、そのことも嫌な部分です。刺のある言葉、ネガな言葉はインパクトが強い。(だから使うんでしょう)
出来れば自分の周りにいる人が自分にも他人にもそんなことを言って欲しくはないものです。
(お笑いの人たちは、あえてそこを武器にしたりしてるようですが)

さて、話は変わって、私たちは「見た目」の仕事をしています。上記のことも含めて「見た目」は、五感の中でもほとんどの人にとって優先順位が先にくる感覚です。
クルマだって大切なのは運転した感じなのでしょうが、見ずに乗ることは出来ませんから、運転する前にある程度のイメージを持つことになります。

イメージの中でも非常にプライオリティーの高い部分を受け持つことはとても素晴らしいことと同時に責任のある重要なことです。
「見た目が変わって、イメージが良くなった」と言われれば、携わった人はとてもうれしい。逆に厳しい批評が出た場合には、こちらは努力によって修復可能なことが多いですから、悪い部分を抽出して検討し、次につなげていかなくては行けませんね。

良くも悪くも「見た目」は、とても重要な感覚だと理解し、それをポジティブにとらえ「物事がいい方向に進化」するように努力したいと思っています。

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