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有機的と無機的 [イメージ]

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正確な言葉の意味とは違うかもしれません。あくまでも私の感覚です。
一般的に有機的とは人間や生き物のように色々な要素が結び合って、形作られてる様子。無機的とは生命感の無いもの。ということでしょうか。

グラフィックの場合基本として、特にアウトラインなどに生き物感があり、温度がある様子、無機的とは生き物感が無く冷たい(クールで)、凛とした感じととらえています。

有機的な曲線や形、色、雰囲気などを使うことで、「親しみ」「かわいさ」「暖かさ」「カジュアル感」「人間くささ」「田舎的な」など、対して無機的な表現で伝えられるイメージは「カッコいい」「高そうな」「クールな」「冷たい」「都会的」「先端」「一般的ではない」などだと思います。

特にID(インダストリアルデザイン)やプロダクツデザインなどは非常に直接的に関連がある要素だと思います。クルマなんかも本来無機的な物に、有機的な要素をデザインとして加えていくことで、生命観や躍動感を感じさせ、親近感を持たせることが可能になりますよね。
グラフィックでも例えばマンションなんかのカタログや広告は、都会的で高級な物件はわりと無機的に「凛」とした人を少し寄せ付けないような演出で、郊外のファミリー向けは、有機的な感じで生活感を感じさせる作りになってることが多いようです。

たとえば修正ポイントとして、「もう少し親近感」「もっと暖かみ」「カジュアルに」などのコメントが来たら、「有機的」な方向を考えてみる。逆ならば「無機的」な方向を考えてみるというのも考え方のひとつかもしれません。

最近良く使われるクラシックで繊細な植物的モチーフなどは、有機的な方向でしょう。人を出したりカラフルにしたりするのも広義での有機的な方向性と言えると思います。

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テクニカルイラストレーション(大内 誠の世界) [アート]

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テクニカルイラストと言う分野があります。機械の構造をわかりやすく説明するためのイラストというのがオリジナルです。

自動車や船、飛行機などはフォルムと共に中の機構を細かく描写する「透視図」というのでおなじみだと思います。最終的には製品の機械的優秀性をアピールする物なんですが、それだけにとどまらない芸術的要素、また機械好きにはたまらない嗜好的要素にあふれています。

昔は、男の子と言えばみんなメカが大好きでした。時計を分解することから始まって、自転車、そしてクルマへと。それは日本の高度成長と無縁ではなかったはずですが、世界的にメカ好きはたくさんいて、あの現ダライ・ラマでさえ、子供の時は時計の分解組み立てが大好きだったとおっしゃっています。

当然、クルマなどの機械を作っている会社は、自分たちの製品の優秀性をビジュアルイメージでアピールするためにこぞって透視図をはじめとしたテクニカルイラストをカタログ等に採用しました。最初は稚拙な物だったと思いますが、イラスト自体のテクニックも機械の優秀性と同じように飛躍的に向上していきました。
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日本では猪本義弘さんや、ここで紹介する大内誠さんなんかが日本だけでなく世界的にも有名です。

大内さんの作業工程を見ていると、角度を決め、立体を描くための三点透視図法のガイドラインを作り、それにあわせて全体のフォルムを決定し、それから各部分を透視する部分、しない部分に分けながら下絵を起こします。最後に光や影を巧みに使って立体的に、リアルに見えるように彩色していきます。
その行程は気の遠くなるほど緻密な作業の繰り返しで、絵の才能だけでなくコツコツとした作業をこなしていく性格的な要素も要求される、本当に一部の人だけがなし得るフィールドだと思います。

いくつか作品を掲載しますのでお楽しみください。
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最近はクルマのボンネットを開けてもエンジンが見えないようなクルマが増え、メカに興味の無い男の子が増えているように思います。でもこの素敵なテクニカルイラストを一部のメカ好きに独占させておくのはもったいない気がします。

この作品たちを見ていると緻密な物ほど無限に広がる宇宙を感じてしまうのは私だけでしょうか。
私は好きなクルマの透視図を、自分の家に額に入れて飾っています。

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大内さんのホームページにて他の作品も見れます。ぜひ訪れてみてください。
http://home.g00.itscom.net/creasso/ 
※ⓒMakoto Ouchi 不許複製を禁じます。

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アルマーニのカメラマンと(つづき) [写真]

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スタッフはカメラマンのやりなれているヘアメーク(この時は一人でやったような記憶が)、スタイリスト、スタイリストアシスタント、そしてオーディションで選んだモデル(男2名、女1名)。
モデルの男二人は当時の例えばブルースウェバーやハーブリッツのような筋肉の美しい若者。女性は肌の抜けるように白いアイスランド人だったと記憶してます。

ロケバスに乗って、ローマからトスカーナに北上するルートでカメラマンの記憶している今回の設定(男二人と女一人の小旅行)にあったロケ場所を点々とまわります。ローマ市内からアッピア街道だったり、うなぎ町という名の湖畔の小さな街だったり、オルベテッロの近くの海辺の小さな街だったり、トスカーナの雄大な草原だったり。

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ロケ場所に着いて例によって淡々とファインダーをのぞきながら場所を決め、へアメークとコスチュームを確認後なにげに撮り始める。外人のカメラマンと言うと大げさにポーズを自分でとって指示したり、大きな声でモデルを褒めたりという印象が強いですが、どっちかと言うとアメリカ系?ヨーロッパの人、特にイタリア人でそんな人あまりいなかった記憶があります。

さて、その仕上がりは帰らなくてはならない日の早朝、ホテルに届けられました。すべてがプリントされてイルフォードの10×12か11×14の箱がしまらないくらい、つまり60〜枚くらいでしょうか。

当時日本のカメラマンで反射原稿で納品していた人は本当にほんのちょっとでした。その後反射原稿ブームがあるのですが、まだまだ日本ではあまり見かけない入稿方法。つまり、あのアシスタントがポケットから出して渡していたのはネガフィルムだったんですね。
向こうでは分業が進んでますから多分セレクトして焼きを指示し、専門家が夜中ずっとプリントしてたんだと思います。

そのプリントを見た時の驚きは未だに鮮明に覚えてます。あまりの素晴らしさにまだ暗いうちに叩き起こされた眠気も忘れて見入ってしまいました。

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やはりアルマーニが指名するだけのスゴいカメラマンだということを再認識すると共に、弘法筆を選ばずでは無いけど、機材も撮り方も先達がやってるからこうしなくてはいけないんじゃないかではなく、最終アウトプットを良くすることのみを考え、自分のスタイルでやっていけばいい。最終アウトプットが良ければいい物はいいと誰でも認めてくれるはずです。
もちろんいい機材を使ったり、大げさに撮影をしたりすることも、形を重要視する日本では効果があるのかもしれません。ユニクロの会長の項でも書きましたが日本と海外の違いって言われる理由は、こんなところにも根があるのかもしれませんね。

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アルマーニのカメラマンと [海外ロケ]

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昔話に気楽におつき合いください。
もうかれこれ20年以上前になります。当時アルマーニの指定カメラマンは「アルド・ファライ」氏でした。
海外のカメラマンでと言うオーダーに対して、ロケ場所が、他の仕事との絡みでイタリアということになり、当時のイタリア人コーディネーターのネットワークで何人か候補が挙がった一流カメラマンの中で、彼とやらせていただくことになりました。

当時のファッション関係で一流といわれてる人たちはほとんどがミラノに事務所を持っていて、彼もまた例外ではありませんでした。
最初に会った印象はイタリア人にしては非常に痩せた体型で、アルマーニの黒の麻の三ツ揃えをちゃんとボタンを締めて着ていたんですが、麻のシワのせいでなんだかよれよれな感じ(笑)。ただしなんだかいつも日陰にいるような感じが芸術家肌の印象を与えていました。

彼曰く、「事務所はミラノにあるけど、ミラノは嫌い。」好きなのはトスカーナで、多分そこの出身なんだと思います。確かにミラノって街は他の街や地域と比べて美しいとはいいがたい。おしゃれで美味しいレストランはありますけどね。

打って変わってアシスタント(アシスタントも向こうでは弟子ではなく、ちゃんとしたひとつの職業です)は、すらっとした長身で、スカッとはげ上がった頭に太い髭、そして耳にはでっかいダイアのピアス。(なんとなーくここでピンときた人もいるかもしれません。事実は確かめてません(笑))
どちらも45〜50歳くらいかな?

この二人でスゴくびっくりしたことがあります。
当時日本でプロのカメラマンに頼む場合、ファッション写真でも広告関連はポスターなどに使用することを考えてだいたいブローニーサイズ、6×6とか6×7。フジの6×8をみんなが使い始めたのはもう少し後だったような気がします。マミヤとかの巻き上げは昔のプロのカメラマンの象徴のようでした。
レンズも何種類もカメラバックに入れて、フィルムと言えば、アシスタント(弟子)が、一生懸命カセットにくるくるセットし、撮り終わったらペロペロなめて整理してました。

ところがこの二人、ニコンの35ミリ(F3だったかな)オートフォーカス(ズームレンズ)ひとつ首に下げて、アシスタントと言えばポケットに入れた35ミリのフィルムを無造作に取り出してカメラマンに渡すだけ。撮り終わったのは手持ちの小さなバッグにポンと入れるだけ。フィルムの装填はカメラマン(まあ、ふた開けてさきっちょ入れて締めれば自動巻き上げですんで)。もう、素人に毛が生えただけの雰囲気丸出し・・・。これで本当にいい写真が撮れるの〜??(と思いつつ次につづく) 

※震災後はすっかり仕事が止まっちゃってます。いまならデザインや広告などのお仕事、価格ぐっと押さえてやらせていただきます。高そうだから頼めない、こんな小さな仕事どうかなと思ってる方ぜひご相談を。
www.birdland.jp

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背景を選ぶ [ディレクション]

皆さん先刻ご承知とは思いますが、人物写真の場合、背景の選択にはいくつかパターンがありますよね。
撮影のディレクションで何を選択するか。

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白ホリは、基本的に「象徴」だと思います。人物、洋服などを象徴的に撮れる。ライティングも自由度があるので、例えばその人のキャラクターを演出しやすかったりします。ちょっと異質なポーズ、動的なブレなんかもかっこうよく表現できますよね。
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また、距離の調整で影などを作ることも出来、さらに背景への照明の度合いで、真っ白から濃いグレーまでかなり多彩な表現が可能です。
コミュニケーションがシンプルですので広告には適してる撮影方法と言えると思います。(特に昔は多かったように思います)
バックドロップをたらすと、基本は肖像写真だと思います。写真館的。ファッションというより、その人(しかもお澄まし系)

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ハウススタジオまたは室内で撮る最大の理由は「ライフ」だと思います。ファッションならその洋服を着るシチュエーション、時間を表現できます。(屋外は経過、室内は目的地の)自分に置き換えやすいから、とんがってないけど受け入れやすい。

屋外は最近とみに目にするのはストリートですね。今はファッションはストリートからってイメージがあるから、手軽さも手伝ってストリートでの撮影が多いんだと思います。会社の近くの表参道なんかだと毎日必ず目にするような気がします。

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同じ屋外でも「自然」は、いいですね(笑)。本来私たちがそういう中でぽつんと一人で立つようなことはあまり無いから、変なのかもしれないけど、人間は本来自然の産物だから、誰もが持ってる原点回帰的な大きなテーマを表現できるような気がします。まあ、撮る場所にもよるので一概には言えませんが、一時は雄大な自然の中のハイファッションというシチュエーションが結構流行りました。

もちろんその他にもいろいろあります。ホリでも自然光とか、スタジオの廊下とか。でも上記のシチュエーションの中間またはミックス的な考え方でいいと思います。

物撮も周りをシンプルにすることで、そのもの自体を際立たせる。周りを作り込んで、そのものが持ってるキャラクターや、使うシチュエーションを表現する。その両端の間を物の表現したい物に合わせて選択する感じです。

※VOGUE(British,USA)およびNumeroより抜粋

タグ:撮影背景
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 [カラー]

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久しぶりに「色」です。

デザイナーの方々は、良くクライアントから「ここの文字目立たせたいから“金赤”にしてよ」って言われちゃいますよね。

「赤」=色の代表です。いろいろな色の中でいちばん心が動きます。(エモーショナル)
ある時は「ショッキング」、あるときは「情熱的」、またある時は「危険」・・。
血の色であり、炎の色でもあり(厳密には違うのでしょうがイメージです)、蠱惑的な女の唇の色でもあり、代表的な薔薇の色でもあります。
ところが分量によっては「カワイイ」になったりしますよね。イチゴやプチトマトなど。

ロシアでは「赤の広場」の語源は「美しい広場」のことだそうです。日本人にとっては日の丸と言う民族的な心の色でもあるのでしょう。

一緒に合わされる色でイメージも変わります。上記日の丸は相手が「白」ですが、白と合わせると多分「ハッとする」が、一番近い感覚だと思います。白い布に染みた血ですね。
黒と合わせるとエロの項でも言ったように「怪しげな」「性的な」だと思います。
黄色などの原色と合わせると「南国的」「情熱的」でしょうか。

特にロゴマークの世界では、全体を赤にして情熱や、活動的、やる気を表現したり、差し色として入れることで「○○の中にある人間性」や「○○な先見性と血の通った仕事」などを表したりします。 

ご存知のように色相の反対色「緑」と白を介さずに合わせるとハレーションを起こしてチカチカします。
上記の話は代表的な「真っ赤」が基本です。金赤もこの仲間だと思います。
その他に朱色からボルドーレッドあたりの間が一般的には赤の仲間でしょう。こちらはまたの機会に。

いずれにしても黒の他にあと一色しか一生のうちに使えないと言われたら、緑や青にひかれながらもやはり「赤」なんでしょう。一番効果的で大事な色だと思います。
そんな意味でも最初に言った「クライアントのお願い」に軽々しく「ハイハイ」って言って従うのはどうなんでしょう? どのくらい目立ちたいのか、本当にドキッとさせたいのか、ただ他に対して少し目立てばいいのなら全体の色の構成に合わせて違う色だっていいはずです。例えばボルドーならずっと上品に上がるかもしれません。
ぜひあきらめないで大事な色「赤」を、効果的に使ってください。

※画像は私が装丁した 故“中村征之”氏の「三重が燃えている」です。地方分権のムーブメントを作った(前)北川三重県知事の行った先進的な政策の話が中心で、「地方分権の台風の目」というようなイメージを表現しました。

タグ:red レッド 血流
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和紙に刷る『レンブラント展』② [アート]

恥ずかしながらこのことは知りませんでした。
同じ版を利用して和紙、中国紙、ヴェラム(皮紙)、通常のエッチング用紙と刷り分け(使い分け)たりしていたんです。(途中で加筆などもありますが)

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※1655「エッケ・ホモ(部分)」上から和紙、ヴェラム、西洋紙

見た目にはやはり版画用の紙が一番「ぽく」見えます。それに対して和紙やヴェラムは、吸い込みがあるので墨の線がにじんで見えます。特に暗い部分に関しては、たくさんの線のインクが混ざり合ってより濃い影(闇)になっています。
これがきっと彼が気に入った要因なんでしょう。和紙やヴェラムは非常に高かい上に枚数を刷れないので上顧客、お金持ちコレクター様用、通常の西洋紙はそんな高くないので一般顧客用と考えられているそうです。

イヤー面白いですね。紙によって版画の感じがずいぶん違うのも面白いけど、まず刷り分けてみようと思ったことや経済的な要因もあったりで、ちょっとだけ私たちの数種校正(校正の時に色々な紙を試してみる)にも通じるところがあり大変興味深く思いました。

いずれにしても、今まで線に頼ってわりと平坦ぎみだった版画に絵画的な明暗(キアロスクーロ)を取り入れ、油彩も含めて彼の生涯を通じてそのテーマがぶれなかったこと。それに対して、その表現を追求するために様々な技法を試みた点など、レンブラントという一人の表現者が少し理解できた良い機会でした。
プリントという工程を経ることで表現の幅を広げる・・。きっと今に生まれたら画家以外の道を選んだかもなあという思いがよぎりました。

ぜひチャンスがあったら行ってみてください。

※エッチングと書きましたが、エングレーヴィング、ドライポイント、エッチングなどいくつかの手法を使っています。サンプルはドライポイント(版に直に描く)です。(エッチングは腐食の行程が入ります)
※我々が使う紙の中で、皮紙系は「サンダースベラム」、「シープスキン」、「羊皮紙」などの疑似皮紙があります。和紙に近い紙と言うと「新局紙」などが代表ですね。

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コントラスト『レンブラント展』① [アート]

「よしブログ書くぞ」って気分に中々なれませんが、仕事も滞り気味なことをいいことに休日では大混雑であろうレンブラント展を平日の午前中にちょっとかじってきました。

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みんな大好き「レンブラント」です。あまりにも有名な「夜警」を思い浮かべますが、今回は彼のワイフワークだった版画を中心とした展覧会です。あの大きなキャンバスの堂々とした油絵を期待していくと「あれっ」ってなことになりますが、私としてはかなりいい展示だと思いました。特に写真家やイラストレーター、アートディレクターの方には見ていただきたいです。
※上:1659「髭の老人」こんな感じで他の国に行って味のある老人を写真家は良く撮りますよね。

もちろん油絵もあります。光と影の魔術師なんて言われてますが、実際には絵を印象的に見せるためのものだと思います。
印象づける物によって、光のあたり方や、明るい部分の面積をコントロールしています。大いなる闇は、光るにあたる部分を引き立てるための重要な要素です。絵画というのは対象をうまく書く物ではなく(それは挿絵や図録です)、四角い画面の中でいかに世界感を表現できるかですが、彼の絵を見るとそれが非常に良く理解できます。
とにかく「絵がうまい」「絵を描くのが好き」「きっとちょっと頭がいい」が今回感じた最初の印象です。

特に油絵に関しては非常にきちんと描いています。しかしながら彼は「エッチンガー(ⓒbirdland)」なんですね。版画ものはライフワークで、非常に数も多いようです。その中には“ちゃいちゃい”と描いた物から、“描き込んじゃうぜ”と言った物までさまざまです。

※1656「弟子たちの前に現れるキリスト」ちゃいちゃいバージョン
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※1648「病人たちを癒すキリスト」しっかりバージョン
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ちゃいちゃいバージョンには特に彼の絵のうまさがかいま見られます。きっとかなり短時間に仕上げてるんでしょう。見たものや、創造した物をさらっと絵として定着できる人は本当に絵がうまい人です。

また版画は、複数種類の紙にプリントしていて、これは明日また書きますが、自分の思い入れと顧客の懐具合(上顧客かカジュアルな顧客か)を、両方満足させられる方法論で、実にけっこう商売人(笑)な側面も・・・。

ちなみに結構すまして(格好つけて)帽子をかぶってる肖像画を良く描いてますが、実際の彼はきっとこんな感じ(自画像)だったと思います。(予想)
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ちょっと身近になったとこで明日に続きます。
(いま、諸々の影響で、閉館時間が早まってるようです。行かれる方は要サイトチェック)

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日本人と外国人カメラマンの違い(ユニクロ会長の著作より) [クリエイティブ]

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今をときめく「ユニクロ」の柳井氏の著書「一勝九敗」(新潮社)の中に、自社の広告についての項があって、日本人のカメラマンと外国人(ニューヨークなどで活躍している)カメラマンの違いということを書いていました。
彼曰く外国人のカメラマンは現場に行くまでどういう写真を撮るか決めておらず、現場で判断しいて最高の物を撮るが、日本人のカメラマンはこういう絵を撮って欲しいという予め決められたことしか撮れない。
日本人は最高のアシスタントだが、真のアーティストではない・・・みたいな内容でした。
(私の中で一度咀嚼して書いてます。正確な内容は本を見てください)

オイオイ、ちょっと待てよ。

日本人、特に広告に関わるカメラマンには決められたことをいかに最高の状態で再現するかを求められてますよねえ。

それは、「企業」がそうさせている?
まず必ずプレゼンテーションをして、クリエイティブチームの作った広告表現案を社内で承認します。それと違った物でも出したら、社内の広告担当者は上に怒られ、代理店は下手すれば出入り禁止、制作アートディレクターやデザイナーが社外だったら、取引無くなっちゃいます。

結局そのことは、日本と外国(アメリカ)の「クリエイティブ」に対するスタンスの違いにあると思います。きちんとクリエーターをリスペクトして、彼らの作る物をいい物として受け入れる素地がお金を払う側にあるかということが大事なのかなと思います。
もちろん私のおつき合いしているクライアントを始め、クリエイティブにちゃんと理解のある企業はたくさんあると思います。でもやっぱり少数派なんだろうなというのは否めない。
特にこの不況で、多くの企業の頭にあるのはやはり素敵なクリエイティブより明日の売り上げだと思います。またそういう体制を基本として、代理店を始めとする広告業界も形作られ、動いています。
我々にも責任の一端があるのかもしれません。はたまた日本人の基本的な性格なのか?

昔は少し違いました。また私たちも、あえて案をラフスケッチという最終形から少し遠い物で承認をとっていたので、現場判断がある程度効きました。

ちゃんと良いクリエイティブを理解しようという環境があれば、日本人のカメラマンだってバンバン現場判断効かせて素晴らしい物を撮れるはずだと思います。
皆さんはどう思いますか?


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大きいキャンバス(田中佳子展) [心得]

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その昔、非常にお世話になった友人であり先輩(非常に才能ある方で、その後クリエーターオブザイヤーを取られた方です。)が、「大きい媒体の場合、その大きな画面をちゃんと緊張させられるか・・」と言っていたことがあって、若かりし頃の心に響き今でも良く覚えています。
確かに小さい媒体と、大きい媒体では自ずと表現も違うし、表現の仕方も違ってきます。大きい画面を緊張感を持って表現できるということは、それだけ絵を構成する能力が高いということだと思います。

さて、彼の奥様がファインアートをやられていて、今回個展があるというので行ってきました。奥様も一緒に仕事をさせていただいたことがあり昔から良く知っています。絵の才能は旦那に負けず劣らずなんですが、いわゆる100号というキャンバスの作品を見て、前述の先輩の言葉を思い出しました。
小さい赤ちゃんを大きなキャンバス一杯に描いた絵には、大きな愛情と無辺の未来を感じることが出来ます。

26日まで銀座7丁目の画廊にて開催しておりますので、良かったら気軽に見に行っていただけたらうれしいです。
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