写真とクルマ、そして古いクルマのカタログ [閑話]
クルマが好きです。
そんなことを言うのは、私がおっさんだからかと思う今日この頃。
若い人のクルマ離れはかなり進行してるといって良いと思います。
昔クルマは社会的地位向上の象徴でした。クルマを持つことは裕福の証だった。だからこそみんな憧れたし、すごく興味も持ちました。
クルマほどプライベートな空間と自由に移動が出来る手段を、両方手に入れられるものは他にありませんでした。(そこは今も変わりませんが)
クルマの広告ではなく、(他の)広告や写真にも小道具として良くクルマが使われました。海辺のアメリカ製ピックアップトラックにサーフボード。アメリカの広大な一本道に古いアメ車。ファッション写真の中のゴージャスでカッコいいイタリア製のクラシックカー。フランスの街角に停めてある少し古いシトロエンやルノー。
写真の小道具の場合にはやはり古いクルマが魅力的ですよね。オープンカーなんか良く使われます。クルマがピカピカ光っていた頃の名残、今でもそのオーラが人を惹き付けるんでしょうか?ゴムとプラスティックだらけのクルマじゃなく、クロームの効いた金属の固まり。
私のクルマ好きの友人より話があって、数年前さる方(古い自動車業界では名のある方で、数十年もクルマのカタログ収集を趣味にされていました)から古いカタログを譲り受けました。クルマも好きだけど、古いグラフィックデザインに興味がありました。その中で古いものをいくつかを紹介いたします。アルファロメオの古いカタログで、1930年代からのものが段ボール一箱分。まさにクルマがあこがれの対象で、高嶺の花だった時代。
写実的なイラストやモノクロ写真(しかなかった)に人着で彩色したものなど、今では考えられないローテクに魅力を感じるのは私だけではないと思います。
つまるところテクニックや先進技術とかではなく、「賢明に表現をしようとする工夫と姿勢」こそが、魅力の光を出してくれる要因なのかも知れません。
また、その時代を強烈に象徴するものや商品は、その周りにあるグラフィックや広告などを含めて、後世に残ってくような気がします。
※最初の画像はラルフローレンのファッション広告と、ブルースウェーバーの写真集から。
コミュニケーションさせるために [戦略]
デザイナー募集に対して、今回は思った以上にたくさんの方々の応募があり、非常にうれしい反面、こちらの状況のせいですべての人と会うことが出来ずに非常に残念です。ごめんなさい。
最近の人たちは、学校でもパソコンなどを駆使して、かなり本物に近い、クオリティーの高い作品を作っていてとても感心しました。
そんな才能のある若者たちに、現在の社会状況はふさわしい場所を与えることが出来ないことにとても歯がゆさを感じます。
さて、今回とても元気な大阪の若者がわざわざ訪ねて来てくださって、お話をすることが出来ました。
彼はとてもバイタリティーがあって積極的だし、作品もたくさん作っていました。ただ作品にデザイン学生特有の問題点があったのでそれについて話した内容をちょっと書いてみます。
それは作品(特に広告)で、思うようにコミュニケートできていないという点です。まあ、プロじゃないんだから当然と言えば当然です。
一人で自分の頭で考える。こういうことを表現するには、このモチーフが良いんじゃないか、こういう手法を使うとイメージが表現できるんじゃないか・・・。多分そんなことを思いながら実際に作品として定着していく作業をすると思います。
しかしここで問題です。それが表現になった時に、本当に見る人は作った人と同じ考え方をしてくれるんでしょうか?
頭で構築していくと、考えがひとりでに階段を上がってしまって、最終形が自分の世界感の表現に陥ってしまいます。これってつまり「マスターベーション」です。アートの世界ならこれでオッケイだと思います。自分の想像物の発露がキャンバスにほとばしっていれば良い。でも広告などのコミュニケーションだと厳しいですよね。誰もそんなことにお金を払わない。
それを回避するにはどうしたら良いか。まずは、「ターゲットのことを考える」です。見る人がどういう風に見るのかを良く考える。実際にターゲットに見せて感想を聞く。見る人の気持ちになってクリエイトする。そんな基本に立ち戻ってみましょう。
ポスターなんて実際に人が見る時間はものすごく短いです。そんな中で心をわしづかみにするクリエイティブを作るにはどうしたら良いか考えてみてください。
僕らには非常に優秀なマーケッターという人たちがいて、ターゲットの設定やクリエイティブに対しての評価もしてくれます。また彼らから提案もあり、チームとしてより効果の高いものを作って行きます。
アマチュアの時はそういうスタッフがいる訳でもないので、自分でいろいろ相手のことを考えてみてください。恋愛と一緒です。どんな相手にも同じ押し方じゃあ中々口説けない。相手の思いを良く理解して、相手の心にぐっと刺さる口説き文句を考えなくてはいけませんよね。つまるところ見る人たちへの「愛」(または優しさ)と言ったら言い過ぎでしょうか。
※画像は讃岐で見つけたローカルなポスターです。「腰が強い」っていいたいんですよね。思いは伝わります。(多少すべってますが(笑))
グラデーション [カラー]
グラデーションは美しい。グラデーションは印象的である。
実際世の中にある自然なものでベタ色(一定の色が継続すること)はほとんどあり得ないので、ある意味人工的ではないものすべてはグラデーションとも言えます。
しかし、ここではもう少し狭義のグラデーションという意味で行きます。
多くの人がグラデーションでまず思い浮かべるのは「虹」ではないでしょうか。可視原色すべてを包括したグラデーションは見るものに美しさ以上のものを感じさせます。
虹以外でも透明感のあるグラデーションは光の波長差によるものが基本となっているので、 見る人にとって非常に印象がポジティブです。
グラフィック上では「サイケデリックアート」をまず思い浮かべますよね。
当時はドラッグなどによるトランス状態を、ある意味めくるめく極彩色の世界で表現したのがあのような形になったんだと思います。いろんな色の光が見える=擬似的宗教体験でしょうか。
現在でもドラッグではなく瞑想でのトランスの表現としてグラデーションを用いたグラフィックアートが用いられたりしてるようです。
http://www.youtube.com/watch?v=LwWaSMgzUyE&feature=related
グラフィック上で使用する時には、一色で白へと移行するものが最もベーシックです。(2)
2色以上の場合には隣り合う色がなるべく同じようなベースカラーの構成を持つものが、きれいにいきます。(3)
逆に反対色の要素を持つ色が入ってる場合には、境目が濁ったりします。(4)
そんな時には相性の悪いベタ色同士の組み合わせ同様、間に白を入れたりするのも有りですね。(5)
同系色の濃淡を使うことで、金属のような光の反射を感じさせるような表現も可能です。(6)
また、グラデーションの向きを180度変えたものを組み合わせることで、立体的な面白い表現が可能です。(7)
モノクロ写真の上に乗算で載せてもちょっとした非現実感なイメージを表現できると思います。(8)
実際世の中にある自然なものでベタ色(一定の色が継続すること)はほとんどあり得ないので、ある意味人工的ではないものすべてはグラデーションとも言えます。
しかし、ここではもう少し狭義のグラデーションという意味で行きます。
多くの人がグラデーションでまず思い浮かべるのは「虹」ではないでしょうか。可視原色すべてを包括したグラデーションは見るものに美しさ以上のものを感じさせます。
虹以外でも透明感のあるグラデーションは光の波長差によるものが基本となっているので、 見る人にとって非常に印象がポジティブです。
グラフィック上では「サイケデリックアート」をまず思い浮かべますよね。
当時はドラッグなどによるトランス状態を、ある意味めくるめく極彩色の世界で表現したのがあのような形になったんだと思います。いろんな色の光が見える=擬似的宗教体験でしょうか。
現在でもドラッグではなく瞑想でのトランスの表現としてグラデーションを用いたグラフィックアートが用いられたりしてるようです。
http://www.youtube.com/watch?v=LwWaSMgzUyE&feature=related
グラフィック上で使用する時には、一色で白へと移行するものが最もベーシックです。(2)
2色以上の場合には隣り合う色がなるべく同じようなベースカラーの構成を持つものが、きれいにいきます。(3)
逆に反対色の要素を持つ色が入ってる場合には、境目が濁ったりします。(4)
そんな時には相性の悪いベタ色同士の組み合わせ同様、間に白を入れたりするのも有りですね。(5)
同系色の濃淡を使うことで、金属のような光の反射を感じさせるような表現も可能です。(6)
また、グラデーションの向きを180度変えたものを組み合わせることで、立体的な面白い表現が可能です。(7)
モノクロ写真の上に乗算で載せてもちょっとした非現実感なイメージを表現できると思います。(8)
タグ:色の無段階変化
見た目 [閑話]
さて、人を見た目でネガなことを言う人がいますよね。「ブス」「ブサイク」「チビ」「ハゲ」「ブツブツ」「地黒」「ペチャパイ」etc。
イージーなだけに浅はかです。言われた方は気分のいいものではありません。特に問題は「そのことの多くが修復不可能なこと」です。いわば一生ついてくる不良品的なことを言われる訳で、悪意があろうと無かろうとそのことをあえて認識させるのはどうかと思います。
さらに言えば、他人の肉体的欠陥を言う人は、ほとんどがそれを言うことにより無意識に自分を優位に保とうと言う心が働くといわれていますが、そのことも嫌な部分です。刺のある言葉、ネガな言葉はインパクトが強い。(だから使うんでしょう)
出来れば自分の周りにいる人が自分にも他人にもそんなことを言って欲しくはないものです。
(お笑いの人たちは、あえてそこを武器にしたりしてるようですが)
さて、話は変わって、私たちは「見た目」の仕事をしています。上記のことも含めて「見た目」は、五感の中でもほとんどの人にとって優先順位が先にくる感覚です。
クルマだって大切なのは運転した感じなのでしょうが、見ずに乗ることは出来ませんから、運転する前にある程度のイメージを持つことになります。
イメージの中でも非常にプライオリティーの高い部分を受け持つことはとても素晴らしいことと同時に責任のある重要なことです。
「見た目が変わって、イメージが良くなった」と言われれば、携わった人はとてもうれしい。逆に厳しい批評が出た場合には、こちらは努力によって修復可能なことが多いですから、悪い部分を抽出して検討し、次につなげていかなくては行けませんね。
良くも悪くも「見た目」は、とても重要な感覚だと理解し、それをポジティブにとらえ「物事がいい方向に進化」するように努力したいと思っています。
汚れじゃなくデザインです! [戦略]
中々更新できずにすみません。
さて、ちょっと面白いデザインの話題があったので触れてみます。
ご存知だと思いますが、NIKEがスポンサーをしている湘南国際マラソンのTシャツがニュースになりました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110112-00000011-kana-l14
参加者に送付されたTシャツに対して、印刷のミスで汚れてるんではないかとの問い合わせが、多数寄せられたというものです。
NIKEのブランドイメージからしたら、これは完全にデザインの範囲ですよね。NIKEらしいというか、動的で挑戦的です。
でも誰でも参加できるある意味公的なイベントですので、年齢の幅も広いしいろんな人が参加してます。年配の方は靴だって昔から愛用しているミズノかオニツカタイガーかもしれません。
そこに今回の微妙なズレがあるのですが、大会本部の後処理の苦労は別にして、これって本当に単なる失敗、ミス、ネガな話なんでしょうか?
ここからは私見ですが、少なくとも私はこのニュースによって、湘南国際マラソンの存在を知りました。Tシャツを見ても、なるほど、デザインの良し悪しはともかく意図は分るなあという感想です。
ある意味、常に挑戦するアスリートのようなスタンスでブランドイメージを作って来ているNIKEにとっては、こういう話題は決してネガではありません。
デザインって、すべての人が「スゴくいい」っていうのはかなり絵空事です。
ロック(特に黎明期の)と同じで、「やだな」と思う人が多いものは、えてして「超いい」と思う人を生みますよね。結局は、目的とするターゲットにぐさっと深く突き刺されば成功です。反対意見はターゲットには逆に追い風になります。
今回のこのトピックが、もしそこまで考えられて仕掛けたのなら(多分違うとは思いますが)成功してると見ていいと思います。
皆さんはどう思われますか?
さて、ちょっと面白いデザインの話題があったので触れてみます。
ご存知だと思いますが、NIKEがスポンサーをしている湘南国際マラソンのTシャツがニュースになりました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110112-00000011-kana-l14
参加者に送付されたTシャツに対して、印刷のミスで汚れてるんではないかとの問い合わせが、多数寄せられたというものです。
NIKEのブランドイメージからしたら、これは完全にデザインの範囲ですよね。NIKEらしいというか、動的で挑戦的です。
でも誰でも参加できるある意味公的なイベントですので、年齢の幅も広いしいろんな人が参加してます。年配の方は靴だって昔から愛用しているミズノかオニツカタイガーかもしれません。
そこに今回の微妙なズレがあるのですが、大会本部の後処理の苦労は別にして、これって本当に単なる失敗、ミス、ネガな話なんでしょうか?
ここからは私見ですが、少なくとも私はこのニュースによって、湘南国際マラソンの存在を知りました。Tシャツを見ても、なるほど、デザインの良し悪しはともかく意図は分るなあという感想です。
ある意味、常に挑戦するアスリートのようなスタンスでブランドイメージを作って来ているNIKEにとっては、こういう話題は決してネガではありません。
デザインって、すべての人が「スゴくいい」っていうのはかなり絵空事です。
ロック(特に黎明期の)と同じで、「やだな」と思う人が多いものは、えてして「超いい」と思う人を生みますよね。結局は、目的とするターゲットにぐさっと深く突き刺されば成功です。反対意見はターゲットには逆に追い風になります。
今回のこのトピックが、もしそこまで考えられて仕掛けたのなら(多分違うとは思いますが)成功してると見ていいと思います。
皆さんはどう思われますか?
グラフィックデザイナーを募集しています。
会社の話で悪いのですが、現在グラフィックデザイナーを募集しています。
このブログを読んでたりされる熱心な方は大歓迎です。
新卒、未経験者可で、今回はベテランではなくて若手でオッケイです。でも1名だけ。
ちょっと急いでますので20日までに作品2点以上と履歴書をホームページから入って、メールアドレスに送ってください。
右上のプロフィールか、リンクより会社のホームページにアクセスください。募集概要も書いてあります。
よろしくお願いします!
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新卒、未経験者可で、今回はベテランではなくて若手でオッケイです。でも1名だけ。
ちょっと急いでますので20日までに作品2点以上と履歴書をホームページから入って、メールアドレスに送ってください。
右上のプロフィールか、リンクより会社のホームページにアクセスください。募集概要も書いてあります。
よろしくお願いします!
ページ物の場合の左右の余裕について [ベーシック]
今月も年末に続いて年始より少し忙しくしてます。あまり更新が出来ませんがお許しください。
今日の話は結構基本線なので、「そんなのもう知ってるから」という方はスルーしちゃってください。
ページ物、例えば、雑誌や本の場合「綴じ」というのがあるので、左右にどうしても使えない部分が出てきます。クルマでいう死角のようなものですね。
「どのくらい取ったら万全か」って悩むと思います。
まず多くの雑誌が採用している「中綴じ」。いわゆるホッチキス2点止めですね。これはホッチキスで留めてから最後に閉じた状態で断つので、どうしても写真のように真ん中に行くに従ってページが短くなっちゃいます。
写真の女性誌、だいたい200ページ強で7ミリ程度差が出ています。ヤンマガのような青年誌などは10ミリを超えると思います。
つまり左右余白を15ミリとっても、実際には5ミリ程度しかないということになり、かなりつらいですよね。
次は無線綴じです。本の形式はだいたいこれですが、今度は「のど」(ページの綴じに近い部分)に、死角が出来ます。見る人はベターっと接着剤がはがれちゃうほど開いてくれませんから、ある程度余白を見ないといけません。
さて、ではどのくらいを見るかですが、雑誌原稿など、どこに入るのかが分らない場合には通常端から12ミリから15ミリには要素を入れないようにと考えます。厚い中綴じの場合には、10ミリをデッドゾーンと見て(無いものと考え)そこから左右の適正余白をとったりもします。(合計約15〜20ミリ)
平綴じの場合にはどちらがのどに来るかは分っていますので、のど部分にあえて大きく余白をとるようなレイアウト(外側に寄せるレイアウト。デザイン上のホワイトスペースと、デッドゾーンを兼ねるやり方)をするか、やはり10ミリ以上をデッドゾーンととらえて、そこから適正余白を取るかですね。
下の写真は私のとても尊敬してる杉浦康平さんの手がけた本ですが、わざと余白をとるデザインではないのに24ミリ以上開いてました。これだと、とても自然で余裕のあるレイアウトに見えますね。絶妙です。
雑誌、本にしても、左右天地のディメンションがA4やB5などに比べて天地が短く左右が若干長い物が多いのはこの左右のデッドゾーンのことが影響してるはずです。
※数字等は個人的な経験値によるもので、人によって考え方ややり方には差があります。
今日の話は結構基本線なので、「そんなのもう知ってるから」という方はスルーしちゃってください。
ページ物、例えば、雑誌や本の場合「綴じ」というのがあるので、左右にどうしても使えない部分が出てきます。クルマでいう死角のようなものですね。
「どのくらい取ったら万全か」って悩むと思います。
まず多くの雑誌が採用している「中綴じ」。いわゆるホッチキス2点止めですね。これはホッチキスで留めてから最後に閉じた状態で断つので、どうしても写真のように真ん中に行くに従ってページが短くなっちゃいます。
写真の女性誌、だいたい200ページ強で7ミリ程度差が出ています。ヤンマガのような青年誌などは10ミリを超えると思います。
つまり左右余白を15ミリとっても、実際には5ミリ程度しかないということになり、かなりつらいですよね。
次は無線綴じです。本の形式はだいたいこれですが、今度は「のど」(ページの綴じに近い部分)に、死角が出来ます。見る人はベターっと接着剤がはがれちゃうほど開いてくれませんから、ある程度余白を見ないといけません。
さて、ではどのくらいを見るかですが、雑誌原稿など、どこに入るのかが分らない場合には通常端から12ミリから15ミリには要素を入れないようにと考えます。厚い中綴じの場合には、10ミリをデッドゾーンと見て(無いものと考え)そこから左右の適正余白をとったりもします。(合計約15〜20ミリ)
平綴じの場合にはどちらがのどに来るかは分っていますので、のど部分にあえて大きく余白をとるようなレイアウト(外側に寄せるレイアウト。デザイン上のホワイトスペースと、デッドゾーンを兼ねるやり方)をするか、やはり10ミリ以上をデッドゾーンととらえて、そこから適正余白を取るかですね。
下の写真は私のとても尊敬してる杉浦康平さんの手がけた本ですが、わざと余白をとるデザインではないのに24ミリ以上開いてました。これだと、とても自然で余裕のあるレイアウトに見えますね。絶妙です。
雑誌、本にしても、左右天地のディメンションがA4やB5などに比べて天地が短く左右が若干長い物が多いのはこの左右のデッドゾーンのことが影響してるはずです。
※数字等は個人的な経験値によるもので、人によって考え方ややり方には差があります。
紙のこと2 [紙]
今進行中の仕事で、久しぶりに「ハイマッキンレー」という紙を使用したので、その紙を出している五條製紙という会社を紹介します。
ハイマッキンレーはコート紙の中ではかなり上質に属する紙で、目が詰まっていてまあ豆腐でいうと絹ごしチックな、パルプではなく樹脂を使った有名な「ユポ」にも近い、そんな感じの紙です。白色度も高く値段も高い。使用にゴーを出したクライアントも相当意識が高いです。通常のコートと、ダル系(セミマット)があります。
昔、アメリカの企業を担当したとき、アメリカで作った高級ブローシャ(パンフレット)を、和訳して、かなり近いものを作って欲しいと言われ、紙もかなり近いものを使用したいと探した末に行き着いた紙が、この「ハイマッキンレー」です。アメリカ人も高級に感じる紙ってとこですかね。
さて、その紙を配給してる会社が五條製紙です。王子や日本製紙のような大御所ではない中堅ですが、非常に特徴のある紙を作っています。
多分光り物の厚物系ではここの右に出るところは無いんじゃないでしょうか。いわゆる高級パッケージ用紙です。一見金属のような色とテクスチャー、またクルマの特殊塗装のような雰囲気を持つ紙、ホログラフィーと呼ばれる虹のような反射を持つ紙など非常に種類があります。
一番の欠点は高いことですが、ある意味高い商品にのみ使用できる価格というのは意味のあることかもしれません。
紙の見本をホームページより請求してみてください。見てるだけで結構楽しいですよ。高級な気分になります。
メールマガジンもやってますので、紙の知識などえられると思います。
http://www.gojo.co.jp/
2011年が始まりました。
あけましておめでとうございます。会社で作った年賀状でご挨拶です。
干支が違うって?いやいやちゃんといますよ。
皆さんに今年たくさんの福がきますように。
2011年 元旦